柏崎・長岡(旧柏崎県)発、
歴史・文化・人物史
承前 鶉も鴫も秋に渡って春は歸って行く鳥だが、鷭は反對に春來て秋には歸って行く。春來るのは日本で巢を營むためである。鷭の旨いのは營巢を始める前より、秋に大きな西風が吹けば、南へ歸らうとする時分の方が良い。春は繁殖の關係で小魚を主として喰べるし、秋は穀類を多く喰へるからである。鷭は脂が少くて一般にそれ程賞味さらないか、御狩場燒にすると可なり旨い。鴫のやうに燒くのには、骨が大きくて堅いから餘り向かない。フライ鍋で植物油で燒いたら良ささうに思ふが、遂に今日迄その機會がない。春から初夏の頃、眞菰や河骨の中から尾を上げ下げして隱れたりする姿が、如何にも可憐で、眺めてゐる方が喰へるより良いやうな氣がする。 小鳥で旨いのは靑じと、雀であらう。鶇や赤腹も旨いが靑じには及ばないと思ふ。明治時代には目白の鬼子母神の境内に、有名な燒鳥屋があった。恐らく昔あの邊で獲れた小鳥類を、燒いたのが始めだらう。ここの燒き方は小鳥類の丸燒だが、燒く時に一寸胡痲油をつけて燒いてゐたやうだったが、普通の燒鳥より確かに旨かった。震災後に何年振りかで行った時は、料理屋風になって、もう昔の面影はなかった。鶉でも鶫でも凡て小鳥は、毛を引く時に皮ごと剝いたのでは味が丸で落ちるから、どんなに面倒でも、羽毛だけは丁寧に皮を傷けないやうに拔かなければいけない。小鳥許りではなく肉の好い味は皮と肉との間にある。鴨の如きも格段に違ふ。猪の肉も毛を剃刀で剃るのでなければ、毛根の處の良い味は捨てられる。 鶫の多く獲れるのは、日光、金澤から木曾、岐阜へかけての丘陵であらうか。北から渡って南下する秋の中頃がしゅんである。夏の間から鳴きつけた囮を鳴かせて、網で獲るのだが、その網場で燒いて喰へるのも一興だ。多くは獲れないが、東京でも高井戸邊りに網場を造ってゐる人もあったし、少し足を延して玉川を渡った丘陵地帶には、專門の網場があって、每朝小鳥獵が催された。これ等は大凡石川縣の人が多かったから本家は金澤だと思ふ。囮の良いのを飼ひ馴らすことが難しいが、それは昔から金澤地方の人が上手である。この金澤に鶫を主にした料理に、じぶ煮と云ふ旨い料理法がある。金澤で料理屋へ特別に註文すれば出來るか知れないが、家庭料理が主なやうだ。鶫を四切れ位に骨ごと切って、饂飩粉でまぶしたのを、良い味のだし汁の煮えてゐる中へ入れて中迄火がやっと透ったか位の處で上げて、その汁と共に小碗に盛ったものである。熱いうちが實に旨い。金澤ではじぶ碗と云ふ碗迄出來てゐると云ふ。この煮方は鶫に一番適してゐると云ふが小鴨や靑首にも良い。雪の多い金澤で、冬の夜、火傷するやうな鶫のじぶ碗を吹き吹き綴る情調は、想像しただけでも旨さうである。このじぶ煮は他の小鳥類にも適するし、鳩や雉にも向く料理だ。
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プロフィール
年齢:
77
性別:
男性
誕生日:
1947/05/18
職業:
よろず相談家業
趣味:
歴史研究、読書
自己紹介:
柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
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