柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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承前

 日本の料理は一體(いったい)に、新鮮味を賞味する料理だが、新しければ何處(どこ)の産のものでも良いと云ふ(わけ)ではない。新鮮味の味覺を決定するものは、材料の産地が大きな部分を占めるやうだ。瀬戸内海でも明石の鯛が一番良いとか、東京灣(とうきょうわん)の輪の中の鰻が何月頃良いとか、何月頃は江戸川の下り鰻が旨いとか、天ぷらの(えび)は江戸前の一疋(いっぴき)(もんめ)位の「まき」が良いとか、何處(どこ)(ねぎ)でなければ葱鮪(ねぎま)には向かないとか、何處の豆が豆腐に良いとか、色々の(つう)が振り(まわ)されるが、みんな新鮮とその出場所(でばしょ)とに(たい)する味覺である。(しか)しこの外に尚一つ味覺を左右するものに習慣がある。東京の人が、何でも魚は江戸前に限ると云ふのは、一つには()()れてゐるからだ。人間は喰べ馴れたものが旨いと感じる。吾々(われわれ)は北陸の鯛は実が柔らかく、刺身などにしても一向感心しないが、土地の人はこの地方のが一番旨い。同じ海岸でも何處(どこ)から先は駄目(だめ)だと云ふ。そこへ行くと、この土地の鯛は良いが、何處から先は駄目だと反對(はんたい)のことを聞かされるのも、()れが誘う味覺のためであらう。

 魚の旨いのは日本が世界一だと云っても、これが吾々(われわれ)が喰べ()れたため(ばか)りでもあるまい。暖流の魚でも寒流の魚でも淡水魚でも、あらゆる種類の魚に(めぐ)まれてゐる。(いわし)(にしん)(たら)海老(えび)(さけ)等、歐米で賞味され従って高價(こうか)魚が、こんなに獲れてこんなに(やす)(くに)何處(どこ)にあらう。それでゐて今日は榮養失調者(えいようしっちょうしゃ)出來(でき)るのは、如何(いか)に制度が(わる)いが(うかが)はれる。米に(ばか)(たよ)り過ぎて米より榮養價(えいようか)の高いものに(たい)して打つ手を知らないか、忘れたのか罪と云ふ外はない。

 いや魚(ばか)りが旨いのではない。日本の牛肉も外國(がいこく)のと比較すると(はる)かに旨いのではなうだらうか。牛肉を煮込んだ料理はともかくとして、生のをすぐ料理したビフテキとか日本式のすきやきとかで、味はって見たら、とても日本の肉には敵はないと思う。ロンドンのビフテキとかローストビーフには、何處(どこ)(くに)も及ばないと云ふ話だが、()し日本の牛をロンドンでビフテキにしたらどんなに(うま)からうと思ってゐる。(しか)歐洲(おうしゅう)では英吉利(イギリス)の牛肉が、獨逸(ドイツ)佛蘭西(フランス)に比べて旨いから、ロンドンでビフテキやローストビーフが騒がれるわけだ。無論それはロンドンのビフテキ(やき)の上手な料理人に(たの)まなければ駄目だ。丁度鰻の蒲燒(かばやき)には木炭がやかましく、びんちょうでなければ駄目だ、と言はれる     やうに、どうもビフテキにもコークスの火加減がむづかしいやうだ。さうして肉の場處(ばしょ)は無論のこと切り方や大きさと、厚さとが味覺の上に大きな關係(かんけい)を持つやうだ。さうして料理してからすぐ熱いうちに出して()れるのでなけれないけない。

 生の肉の味を賞味する料理としては、御狩場燒(おかりばやき)とか、すき(やき)とか、その場で自ら料理するのが味覺三昧(みかくざんまい)に入る()がする。すき(やき)と云へば、外國人(がいこくじん)には日本の醬油(しょうゆ)の焦げる香りが良くないから、初めはいけないが()べ馴れると餘程(よほど)旨くなるやうだ。伯林(ベルリン)の日本人俱樂部(くらぶ)で、明治の中頃すき(やき)を始めたら、臭いとアパートの上下から苦情が出たが、番人を呼んで()べさしたら、苦情は()んだ(ばか)りではなく毎日鍋から出た餘りの汁を、貰ひに來るやうになったと云ふ話を聞いた。(しか)しすき燒の旨いのは、日本の牛肉に及ぶものは無いと思ふ。外國で食べるすき(やき)は、長く米飯を食べずにゐたから、旨いと云ふだけで、決してそれ程旨いものではない。日本の牛肉が旨いからで、()べつけてゐる(ばか)りではない。(ある)外交官が戰前(せんぜん)伯林(ベルリン)から獨逸(ドイツ)人の下女(げじょ)を連れて(かえ)って來た時、日本の牛肉の旨いのに下女が驚いてゐたと云ふ話を聞いた。私はこの前の戰爭(せんそう)中、會議(かいぎ)の用で大正六年の春であったが、伊太利(イタリー)へ行きがけ、シベリア鐡道(てつどう)の中で丁度(ちょうど)露西亞(ロシア)の革命が始った。露都(ろと)へ着いてもホテルfr一日一食しか出して呉れない。ひもじい思ひをしながら、大使館で特に手に入れて呉れた牛肉で、すき(やき)の御馳走になったことがあるが、二箸三箸の後はどうも肉が喰べられなかったのを、今でも思ひ出す程である。日本の豚肉は大體(だいたい)外國に及ばないが、牛肉だけは世界一だと(ひと)りで極めてゐる。

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