柏崎・長岡(旧柏崎県)発、
歴史・文化・人物史
承前 もしかすると、私のPCが時代遅れなのかも知れないが、今更、替える事も出来ない。愚痴、ご容赦。 金澤のじぶ煮のやうな特殊料理ではないが、京都の秋に川魚を主とする料理屋で、小鳥の燒鳥をするが仲々旨い。材料は鶫が多いから多分岐阜邊りの網場から來るのだらうが、京都は海が遠いから鮮魚の料理よりも小鳥料理が昔から發達してゐたやうだから、鶫よりもより少さい、靑じ、頬白、ひわのやうな骨の小さいものを料理する旨い料理法があると思ふが出逢はない。佛蘭西では雲雀飯を作る料理法がある。雲雀は日本では禁獵だから他の小鳥に應用するのが良い。過程で造るいため御飯の一として勸めたい。それは小鳥を骨ごと小さく切って鹽味にして、フライ鍋で油でいためる簡單なものだ。それに飯を入れて適宜に煎れば良い。雲雀をバタでいためてオリーヴ油で飯を煎るのが本式だが、厭な臭ひのない植物油なら何でも良い。これも無論熱いうちに喰へるのである。 野鳥の中でも雉は昔から、鷹狩りの最も良い獲物として狙はれはただけに旨い鳥である。人によってはその香を嫌がるが、それは喰べつけないためだ。慣れると反ってあの香が良くなるから、捕りたてのものより或時間を置いた方を喜ぶやうになる。一體に野鳥は捕りたてのものには、味がまだ出て來ない處がある。雉はその代表的のものだらう。佛蘭西では雉と云ふ名詞を動詞にして、肉に時間を置いて柔かく旨くすることを、フェザンテーと云ってゐる。雉は天火で丸燒にすると良いが、肉を薄く切って醬油に漬けて置いて燒くのも旨い。雉の蝋燭燒と云ふのは、肉も骨も一處によく叩いて味をつけたのを、串の廻りに蝋燭のやうな形にぬりつけて燒くのである。併し大凡の野鳥にこの燒き方が合ってゐるやうに思ふ。 上戸だけの話だが、雉の骨附の肉を白燒によく燒いて、出來れば塗物の酒呑みか、燒物のビール呑みに入れて、その上に熱燗の酒を注いで雉酒を造ると實に旨い。中に入れた肉の大きさにもよるが、二三度は繰り返へせるが、その度に味が落ちるのは何ともしやうがない。硝子のコップだと酒の濁が透いて見えて良くない。それは雉酒に限った譯ではなく、鰻酒、河豚のひれ酒、何れも同じだ。蟹の甲羅酒の時には、コップでないのが如何にも嬉しく雅味があり、それだけ味覺を唆られる。肉から酒にだしの出るのは、雉が一番のやうだ、それだけに後の肉は煮がらしだ。併しそれを細かく叩いて醬油で煮てそぼろにすると、反って生から煮たのよりも旨くなる。野鳥の味の餘りないのは、叩いて十分細かにして煮てそぼろにすると見違へるやうに旨くなる。尤もこの式の料理なら誰にでも向いて、何の肉だか判らなくなって旨い。 山鳥の味も雉子によく似てゐるが、雉よりも臭みは少く、味は反って鶏に近づいて來る。だからすき燒でも、燒鳥でも、天火で燒いても、雉と同じやうに料理するのが良い。さう云へば山鳥に近い味を持ってゐるのが、支那から輸入してここ二三十年以來、大分繁殖した小綬鶏である。大きさは鶉より大きく、鳩より稍小さい。パートリッヂ系の鳥だが、肉の味は山鳥に能く似てゐてより旨い。草の實や害虫を食べる益鳥として保護されてゐるが、一部鳥打ちに解禁されてゐる。この獵も犬を使ふと鶉程でないが相當面白い。網でも良く獲れて可なり繁殖力があるから、これを全國に放飼すれば、鶉のやうな渡り鳥でないだけに、秋から早春迄に食膳に上すことが出來ると思ふが、冬野に餌が無くなった時に、麥畑を荒らすからどんなものか。山口縣の或嶋に放飼して非常に繁殖したさうだが同時に農家から苦情が出たと聞いた。苦情の出る程繁殖する前に、土地の人達に網獵を許しさへすれば、それ程のことはないと思ふ。網なら生きて捕れ雄雌も良く判るから、全く居ない地方へ分けて擴めるのが良いのではないか。何れにしても鐡砲打ちのゲームとして繁殖させるのが惡いのであって、網獵奬勵が今後の狩獵法の主眼とならなければ、食料問題には貢獻されない。秋のみのりの前、八月頃から鷹笛による雀の網獵の如きも許す方が良いと思ふ。一部の地方では害鳥驅除として、或る種類の雀には許されてゐると聞くが、害虫驅除に雀の有効な點を睨み合はすこと勿論である。併し雀の害の方が多いとすれば、米の増産にも害になり、米の節約にも害となる狩獵法の改正に、この際左顧右眄する必要はないだらう。 小綬鶏と殆んど同じで、羽根の入るのもっと濃い、さうして餘り斑點のない鐡鶏と云ふのがあるが、この方はどうも繁殖が惡いやうだ。臺灣の山地には多くて、生蕃はこれを罠で捕って、里へ賣りに來ると云ふ。臺灣へ行った時しきりに求めたが遂に得られなかった。味は小綬鶏と殆んど違ひはなからうと思ふ。内地でこれを繁殖させやうと云ふ熱心家が、東北にあったがその後どうなったか。もし鐡鶏が自然繁殖に適してゐたら、小綬鶏と同様に是非放飼するのが良い。併しそれは云ふ迄もなく、ゲームとしてではなく食用としてである。 水鳥の中で、どんな料理にしても旨いと思ふのは小鴨だ。鴨の種類も澤山あるが、味では小鴨、靑首、尾長の順になるだらうか。見た處は立派だから靑首が普通喜ばれる。これと家鴨の雑種が「なき」と呼ばれ、野鴨をよく呼ぶから囮に使はれ、又家鴨より遙かに肉も旨い。合鴨と云ふのが本當だらうが、今日食用として東京では、家鴨のことを合鴨と云ふやうになった。京都では本當のあひるを略して「る」と云ってゐる。純粹の靑首はどんなに飼ひ馴らしても、決して内地では産卵しないさうだ。若し産卵するのがあったら、必ず何世か前に家鴨の血が交ってゐるのだと、ある鳥通から聞かされた。以前は靑首は相當宮城の御堀にもゐたが、近年目立って少くなったのは、東京の近郊はもとより品川沖にも、餌が少くなったためであらう。不忍池の雁も、容易に見られなくなった。雁で思ひ出すが、昔の一高の野球場に立ってゐると、夕方に不忍池から上って來る雁の群が、地面から僅か一二間の高さで、雁行して向って來る壯觀は、未だに眼に残ってゐる。併し雁の肉は、堅くてとても鴨に及ばない。吸物椀にするか、時を置いて柔くなった處を天火で燒くと良い。併し臓物、特に肝臓は脂が多いから茹でて香料と鹽とを入れてよく練ると撮みものにも、パンにも、實に旨い。雁ではないが鵞鳥の肝を練ったゲンゼーレバーステーテーは、ストラスブルグの名物と云はれた位旨いものであった。 |
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プロフィール
年齢:
77
性別:
男性
誕生日:
1947/05/18
職業:
よろず相談家業
趣味:
歴史研究、読書
自己紹介:
柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
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