柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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承前。

柏崎の名妓」

 古来吾が柏崎にも名妓が多くあった。明治初年の頃、扇楼に三人の名妓があって源
氏名を扇吉、扇蝶、扇山と云うて、中にも扇吉が最も全盛を極めたそうである。

 粋士越中山人と云う者、戯れに一詩を作った。

  扇吉扇蝶又扇山。三扇之中山為關。此婦従来名声遠。扇屋第一顔。

  (扇吉扇蝶また扇山、三扇の中、山関を為す、この婦従来名声遠く、扇の扇屋
の第一の顔。)

 扇(せん)蝶(ちょう) は本名をたせと云うて、長岡草生津(くそうづ)の生れで、十
二歳の時に扇屋に身を沈め、十五歳の時迄遊芸万般を見習い、仲々の美人で、非常な
全盛を極めた者であるが、彼の傑士星野藤兵衛氏は扇蝶を愛ずる事一方ならず、遂に
落籍(ひか)せて其妾(しょう)とし、間もなく木曽道中で京阪地方の名所旧跡を探りに
行ったが、其時の費用は二千有余円を要したとのことである。時の従者は四谷の渡辺
金八、料理人の森山文蔵、名妓文字太夫の三人であったとの事である。

 扇(せん)吉(きち) は岡のの豆腐屋の娘で、母親は彼の六歳の時扇屋へ三両で身
を売ったそうである、長じて歌舞妓となったが、殊勝にも彼は辛き勤めの暇を見て
は、香積寺の弁財天に祈誓を籠め、何卒行末に名を上げます様になして下さいと、小
使銭なども無き頃なれば無論賽銭抔ある筈なく、綺麗な小石を拾うては賽銭の代りと
し風雨を厭わず、参詣せし甲斐あって、幸いにも後年全盛を極めるに至った。扇吉の
為めには城を傾け国を亡ぼしたものもある位で、近郷の弗箱は吾れ劣らじと競争し
て、彼の歓心を買ったとの事である。之が為め扇吉は座(い)ながらにして黄金の山を
なし、錦の波の寄せるが如く、何不足なき身となり、箪笥が七本、帯が四十五筋、衣
裳髪道具縮緬の夜具が五通り、紬縞が二通、其外夏冬の夜具が五通りもあって、虫干
抔と云う時は十数日も掛った位で、掛け払いの時は縮緬の座布団の上で、長煙管を啣
(くわ)えて支払をしたそうで、其支払高は少ない時で二百円位あったとの事である。
斯くの如き全盛を極めた彼も寄る年波には勝ち難く明治十七年春廿七歳で独身となっ
て、世帯を持ったとの事だが、今は早や地下に其昔の俤(おもかげ)を夢みて居るであ
ろう。当時の俗謡に

  はやる新扇屋の前へ

       扇吉居るかと通うて来る

と以て彼の如何に全盛を極めたかが察せられる。扇吉は斯く不自由なき身となったの
は、弁財天の御利益であるとて、後年新に廟を建てて其恩に報いたとの事である。

 扇山(せんざん) は長岡生れのものであって始め新潟に至り、後ち柏崎に来たとの
事でくぁる。

 小若(こわか) は元士族の愛娘(むすめ)であったが、明治十年の頃、千種屋に勤め
の身となった。容貌美しく、歌道に通じて、歌人遊女と囃(はや)されたそうである。
會(たまた)ま西南の変報を聞いて国風ニ首を詠じた。

  御軍(みいくさ)の事の起りは知らねども

       勝つも負けるも同じ国人(くにびと)

  浦安のゆたけき国もつくし潟

       国のはてには波の音(ね)ぞする

 小薩摩(こさつま) 元禄の頃の遊女で、歌俳諧を能(よ)くしたものだとの事であ
る。

  白露の菖蒲は軽し洗ひ髪

 浅尾(あさお) 是も元禄の頃の遊女である。

    八月十五夜たのめける人のとはざりければ

  もろともにみてこそ月も月ならめ

      空たのめにもふけゆくはなし

 刈(かり)藻(も) 同じく元禄の頃ならん。

  河竹のよそにながれの名を立てヽ

      枕さだめぬうきねにぞ泣く

 道(みち)柴(しば) 是れ又何時の頃か知らざれど、風雅に富みたる遊女であったよ
うだ。其残れる一句を記せば

  梅が香(か)に無垢(むく)恥かしき化粧水(けしょうみず)

 小(こ)〆(しめ) 桜屋の芸妓で、美妓として其名を知られて居たが、明治二十六年
の早春、殊勝にも緑なす髪を切って仏門に帰依し、銭山寺に黒衣を纏うの身になっ
た。其原因を探れば、近村某商家の主人の寵を受け子迄なしたれど、妻の思いや自ら
の心に責められて、遂に斯くの次第になったのである。

 小花(こはな) は十数年前の名妓で、片桐某の寵厚く、宴席に侍って歌うときは、
其声調の美妙なるに聞くもの嘆美せざるはなかったが、就中(なかんずく)詩吟に長じ
て居た。嘗(かつ)て江戸錦絵に画かれて坊間に伝えられた。

 きみ 緑屋の遊女で、都々逸(どどいつ)を作って曰く。

  けんさあとでも疑い深い

      お前御医者にして見たい

 小よし 千種屋の抱え遊女で、同じく都々逸を物して曰く

 つもちつもりし口舌の種も

      とけてうれしい春の雪

 尚お此外八ッ橋、小稲、綾衣、仲吉、一羽、一声、この浦、玉浦、島吉、おせき、
千代吉、おしま、おたけ、小芳、音羽、小青、八重、小蔦、小道なんど云うものも
あったが、此内には今尚お矍鑠として餘年を保って居るものもあるとの事である。

 明治卅八年柏崎新聞社(今の日報)で、柏崎の紅裙中容貌及び技芸の秀でたるもの
の投票を遣ったが、技芸の部に於て、

  一等 河内屋 みす  二等 山口屋 金助  三等 河内屋 千代

の三名当選した。又容貌の部では、

  一等 河内屋 小咲  二等 千種屋 みち  三等 千種屋 とみ

の三名であった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    夕ぐれ 夕ぐれに眺め見あかね極楽寺、月に風情を稲の露、

            水底に草(?)が見ゆるぞい、アレ蟲の声、蟲の名に松蟲
鈴蟲轡蟲

 特に注釈もない。 ただ、最後の所、活字がつぶれて判読できない。

 それにしても、星野藤兵衛の豪遊ぶり、また扇吉の全盛の様子、いつの世も紅灯の
巷は、変わらぬものなのだろうか。

Best regards

梶谷恭巨

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