柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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 調べて居たら『吾妻鏡』の読下し文のサイトがあった。自分が使っている国立国文学研究資料館の「吾妻鏡データベース」の原文と多少読み方の違いがあるが、『吾妻鏡』の研究には最適のサイトである。以下、そのURLを紹介する。

  http://www5a.biglobe.ne.jp/~micro-8/toshio/azuma.html

 ただ、『吾妻鏡』が今回の本題ではないので、なるべく早く『くぢらなみ』に復帰したい。

 

 今回は、兎に角時間が掛った。中世史は得意ではないが、ただこの時代に付いては、子供もの頃から父親に聞いた話だ。もっとも、テキストは頼山陽の『日本外史』なのだが、それに芳川英治の『平家物語』や『太平記』が加味されて、今でも父の声と共に耳に焼き付いている。父は、演説上手と評判だったが、大抵がこの辺りからの引用で、特に弔辞など、涙を流さぬ者はいなかったと聞く。そんな影響か、源平から南北朝に掛けて、よく勉強したものだ。今でも、『平家物語』、『愚管抄』、『太平記』は手元に在り、(『日本外史』も)、思い出したように読んでいる。今回は特に、女房殿の会社の図書、宮尾版『平家物語』と読んでいたので、何とも長い注釈になってしまった。

 

 ところで、「佐々木氏」は、近江国佐々木庄に住した所から「佐々木」を名乗るのだが、本姓は「木村」である事を知った。これは意外な事実である。余談だが、先頃、息子の親友である加藤大和君が家系図を持ち込んだのだが、彼の曾祖母が、仙台藩の藩儒・山崎闇斎の系譜・崎門学派の木村覚左衛門景盛に繋がる人であった事が判った。詳しくは把握していないが、どうも戊辰戦争の時、柏崎の在郷の人達は、町家(商家)が官軍に味方したのに反して、桑名藩に従い、仙台から函館まで従軍した経緯があり、その関係で先代から柏崎中鯖石の加藤家に嫁したのではないだろうか。実に興味ある事実である。

 

 さて次回だが、これがまた中世史に関わってくる。「里見氏」が登場するのだ。どうもしばらくは、中世史の勉強になるのだろう。

 容量の問題で、今回も分割する。

Best regards


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