柏崎・長岡(旧柏崎県)発、
歴史・文化・人物史
承前。
その前に、前回の『東鑑』あるいは『吾妻鏡』に関連して。『
前後するが(本文の後に書いている)、取りあえず、
それで思うのでは無いが、最近は高校で、
取りとめのない事を書いてしまった。ご容赦。さて、今回だが、
尚、読下し文、◎付は、『くぢらなみ』に記載の名前。また、
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(1)「治承四年十月二十三日」の段に、→ 第一冊94頁7行目
廿三日 壬寅(みずのえとら) 著于相模国府給、始行勲功賞、北条殿及 (二十三日壬(みずのえ)寅(とら)、相模の国府に着き給(たま 信義(武田) ◎義定(安田、信義の弟) 常胤(千葉) 義澄(三浦) 広常(平あるいは上総) 義盛(和田) 実平(土肥) 盛長(安達) 宗遠(土屋) 義実(岡崎) 親光(工藤) 定経(吉田経房の子) 経高(佐々木盛綱の次兄) 盛経(稲沢) 高経(足利) 影光(加藤影員の子?) 遠影(天野) 影義(加藤影員の次男) 祐茂(宇佐美、曽我兄弟の仇討で有名な工藤祐経の弟) 行房(市河) 影員入道(加藤) 実政(宇佐美) 実秀(大見) 家義(飯田)
以下或安堵本領。或令浴新恩、亦義澄為三浦介。 (以下、或いは本領に安堵(あんど)、或いは新恩(しんおん)浴
(註1)北条殿以下、25名の名が揚げられており、()内は、 (註2)『くぢらなみ』には、義定、盛綱とあるが、
(2)「寿永三年二月二十七日」の段に、→ 第二冊107頁2行目
廿七日 丙戌(ひのえいぬ) 近江国住人佐々木三郎成経(なりつね)参上。 (二十七日丙(ひのえ)戌(いぬ) 近江の国の住人、佐々木三郎成(なり)経(つね)、参上す。) 子息俊経一谷合戦之時、討取越前三位、通盛、訖、 (子息俊(とし)経(つね)、一ノ谷の合戦の時、越前三位(さん 可預賞之由申之、於勲功者、尤所感也。 (賞に預かるべきの由(よし)、これを申す、勲功に於いては、 但日來属平氏、殊奉蔑如(ないがしろ)源家之處、 (ただし日頃(ひごろ)平氏に属し、殊に源家を蔑(ないがし)ろ 始参上。頗非眞實志之由、被仰、云々。 (始めて参上す、頗(すこぶ)る真実の志にあらざるの由、仰(お
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誕生日:
1947/05/18
職業:
よろず相談家業
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歴史研究、読書
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柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
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