柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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次に、第三節「近世郷村と柏崎町の成立」第一項「近世初頭の郷村」と続くのだが、石高の変遷などに論が進み、加納村等の帰属に関しては重複があるので、ここでは時系列に沿って、領主の変遷を『柏崎市史』の執筆者と同じ、新沢佳大氏の『柏崎編年史』の第五章「高田藩政の展開」の前に添付された表「柏崎刈羽の歴代領主変遷表」から、加納村・与板村・宮平村および善根村を抜抄する。但し、善根村を除く三村は皆同じであるので、一括して記載する。また、和暦には西暦を付け加えた。

加納・与板・宮平村
元和 二年(1616    長峰藩 牧野忠成(ただなり)
元和 五年(1619    高田藩 松平忠昌(ただまさ)
寛永 元年(1624    高田藩 松平光長(みつなが)
天和 元年(1681    幕領
貞享 三年(1686    高田藩 稲葉正通(まさみち)
元禄十四年(1701    高田藩 戸田忠真(ただざね)
宝永 七年(1710    高田藩 松平定重(さだしげ)
寛保 元年(1741    白河藩 松平定賢(さだよし)
文政 六年(1823    桑名藩 松平定永(さだなが)
善根村(貞享三年まで同じ)
貞享 三年(1741    幕領
元禄十四年(1701    幕領
宝永 七年(1710    高田藩 松平定重
                    長岡領 *牧野忠辰(ただとき)
寛保 元年(1741    白河藩 松平定賢
                    幕領
文政 六年(1823    桑名藩 松平定永
                    幕領
【補注】『元禄郷帳』(其二・越後国高田・長岡領)の末尾に「高都合四拾六万六千五百六拾五石四斗七升三合六勺七才・村数貮千貮百八拾九ヶ村・元禄十五壬午年十二月 牧野駿河守」の記載がある。この『元禄郷帳』は、元禄13年から調査が開始されたようだから、先の署名から考えると、一覧表の高田藩戸田家との関わりに疑問が残る。ただ、後の長岡藩牧野忠辰が、松平光長改易の時の高田城受取り役を務めているから、それが関係するのかも知れない。
 先ずこれらの所は措くとして、この郷帳に帰された加納村の石高は、77382升(宮平村3014斗、与板村34986合、因みに下方村329662合)である。
 また、もう一点着目するのが、刈羽郡の石高である。総高というより、その細かさだ。「六勺七才」、「勺」は単位として知っていたが、その下に「才」という単位がある事を知らなかった。調べて見ると、三勺枡は今も販売されている様だが(アマゾンでも販売)、それ以下となると、何に使うのだろうと考えてしまう。憶測はすべきではないが、先に挙げた疑問と関連付ければ、牧野駿河守家が、他領(戸田家)の検地を行なった事に関係するのかも知れない。要するに、「我が藩は、ここまで正確に検知した」と云う面子とか。

 

【省略2】「山川 鯖石川 村ノ南ノ方五丁許(ばか)ニアリ、水源ハ黒姫山鯖石谷ヨリ出流、末、悪田村ニテ海水ニ入」

 


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