柏崎・長岡(旧柏崎県)発、
歴史・文化・人物史
承前 甘藷と馬鈴薯 米を主食として而も米の足りない日本の代用食は甘藷と、小麥を主食として小麥の足りない國の代用食は馬鈴薯と、何れも芋であるのは面白い。それは人間の食糧とする澱粉の給源として、最も廉く最も多量に得られるのが芋だからであらう。併しいくら澱粉を食べたからと云っても、胃腸がそれを消化し吸収して呉れなくて満腹感を與へるだけでは、何の役にも立たないのである。吾々は芋を旨く喰ひ、さうして芋に足りない蛋白とか脂肪とかヴィタミンとかを副食物やその他のものから摂取しなければならない。いやそれは代用食の芋許りではない。米を食べても芋程ではないが、矢張り蛋白と脂肪とは足りないから、何かで補給しなければならないのである。それを旨く喰はして足りないものを補足し、無駄を出すまいとするのが科學的のガストロノミーである。満腹感だけでは榮養は足りないのは、芋でも米でも同じことである。併し米に足りない蛋白の補給が自然に迫られて、山号の處を五合喰べれば満腹感は十分で假りに蛋白は足りても、澱粉は無駄になってしまふのである。芋を餘計喰べても同じやうに、澱粉は一層餘計無駄になるわけだ。 甘藷の料理法も、能く知られてゐるから書き立てる事もないが、近來町中に燒芋屋の無くなったのは如何にも物足りない。店に大きな土の竈を置いて、上に平鍋に輪切りにした芋を乘せて、何時も暖かいのを賣つてゐた。あれが本來の代用食屋であったのだが、今日必要の時に消え去ったのは残念だ。燒芋は藁火に限ると云はれてゐたが、何れにしても燃料が燒芋屋を追ひ拂った事であらう。併し今日は燃料の代りに極く簡単な電熱器を、特に燒芋用に考案して、面が広くて熱の餘り高くない竈を造れば良いのである。電熱も並行に入れれば、どんなにでも、熱い熱くない加減が樂に出來る。燒芋屋は大凡夏は氷水屋となったものだが、電熱用の動力線は夏はアイスキャンデーとかクリーム用の冷凍機に利用すれば、そのまま使へて無駄がない。私は終戦後海水から鹽を造るのに、電力節約のため冷凍機を漁村で利用させたらと思って地方の小冷凍庫を調べたら、アイスキャンデー用の二馬力か三馬力のものが、まだ壊されずに残ってゐるのを見て、喜んだと同時に能くも行き渡ったものだと感心した。 馬鈴薯が薩摩芋ほどに、一般に普及してゐないのは喰べ馴れないのと、甘くないのとの二つが主な原因であると思ふが、一つには日本の風土が、馬鈴薯には暖過ぎるからであらう。軽井澤や長野縣等の高原には、實に旨い馬鈴薯が出來るし、北海道は更に耕作に適するやうだ。私は昭和の初めに樺太に行って、馬鈴薯の旨いのに驚いたが、もう樺太に頼る譯にゆかない。併し内地でも高燥な地方、丁度それは甘藷には向かない地方は、必ず良いやうに素人考へながら思ってゐる。種の馬鈴薯は北海道から來るが、二三年造ると種が惡くなるとか云ふ話だが、それはもともと耕作に適しない地方に植ゑるからではあるまいか。どうも甘藷と違って、馬鈴薯は喰べつけないせいか、馬鹿にされて熱意がないのではなからうか。上戸黨には馬鈴薯の料理に舌鼓を打つものがある。 歐羅巴でも昔馬鈴薯が始めて輸入された時、餘り喰へる人が無かったさうだ。併し小麥の不作の時の代用食に良いから、何とかしてこれを普及させたいと考へて、佛蘭西では政府の馬鈴薯畑にわざわざ圍をし、番人迄つけて大切にして見せたら、それから段々に擴まり出したと云ふ話を聞いた。今日でも巴里人は馬鈴薯の味覺に鋭敏で、シチューにするとか、鹽茹にするとか、油で揚げるとかの料理によって、それぞれに適した馬鈴薯の種類を撰ぶさうだ。東京で普通の馬鈴薯は、茹でて何度湯を切って空煮にしても、仲々粉が吹かない水芋が多い。樺太のは容易に粉が吹いて來る。鹽茹の馬鈴薯が、味としては最も自然で良いと思ふが、それには眞白に粉が吹いてゐるのでなければ旨くない。煮過ぎてもいけず、煮えが前ならしんがある。それが料理のむづかしい處だらう。 佛蘭西風の馬鈴薯の空揚げが、外の國では食べられないと云ふのは、簡單料理でありながら、どこかにこつがあるのだらうが、それ許りではなく、馬鈴薯そのものの質にもよるのであらう。何れにしても甘藷の空揚げは、中が柔かいのが旨く、馬鈴薯は薄く切ってかりかりに揚げたのが旨いやうに思ふ。黑でないビールの肴には、このカリカリに揚げたのが良いが、本場のミュンヘンの黑ビールには生大根の切ったのに鹽をつけて食べる。黑ビールそのものの味が濃いからであらうか。 馬鈴薯の料理は獨逸も上手だ。土地が寒いから芋が良いのか、それとも昔から敗戰の經驗が多いから、芋の家庭料理が發達したのかも知れない。フランスの生芋の空揚げと違って、一度茹でた芋を切って、油で表面だけを焦げるやうに燒いたのが、實に旨い鹽味に出來てゐる。それと白ソースの馬鈴薯サラダは、何處の國よりも得意のやうだ。サラダと云っても酢が少くて、實に良い味が出てゐるのは、矢張り芋の質が良いのだと思ふ。それから見ると、日本の西洋料理に出て來る馬鈴薯は、どうしてあんなにまづいのか、シチューの中の馬鈴薯なぞ、唯一寸茹でたのをシチューのつゆでまぶしてあるだけで、煮込みの旨さが少しも出てゐないのが多い。露西亞料理のスープの中の芋の味、愛蘭シチューの中の芋の旨味等、どうして砕かずにかう旨く永く煮込んだものかと思ふ位だ。芋を煮込んで味を出すと云ふことは、何でもないやうでゐて、矢張り芋の質と火加減と煮る時間とによるのではなからうか。里芋を魚と煮込んだのはよく味が出てゐて、馬鈴薯を同じやうに煮ても、味が出て來ないのは、醤油の味が馬鈴薯には不適當なのかなぞと思ってゐる。吾々は馬鈴薯を旨く食ふことを工夫するのが、米の節約に是非必要だ。甘藷の出來ない地方に無理に馬鈴薯を造るより、芋も適材適所主義でなければならぬ。 Best regards
承前
今回で「料理通と榮養料理」完結。 すき燒にして一番旨い霜降りと俗に云ふ處は、一頭の牛からいくらも取れないやうだ。いやそれ計りではない、すき燒に使ふ肉全體が、さう澤山取れるものではない。残りの部分は、それぞれ場處に應じて、料理の仕方が違ふが、さうなると日本の料理人は、牛一頭を十分こなしきるだけの腕がない。旨くて而も榮養價の高い處が捨てられゐる。吾々が喰べ馴れないための無駄である。そこへ行くと朝鮮人は、昔から豚予知も卯牛肉が好きだから、牛の臓物でも、頭でも、目玉でも、料理して一流の腸炎料理屋で出す。戰前東京の芝浦の屠殺場で臓物は朝鮮人が喜んで買って行ったと云ふことだ。事實吾々が好いと云ふ處の肉より、臓物の方が旨いのを、日本人は喰べないと云ふだけで嫌ってゐるのである。そこにも大きな榮養の無駄がある。 考へて見ると榮養料理と云ふものには二種類あると思ふ。吾々の食用としてゐる普通の野菜とか肉魚とかの名を擧げて、これには何程のカロリーがあるとか榮養價が何程だとかを明かにして、それ等を取り合せて料理して、適當の榮養料理を指導するのが従來行はれたものである。今迄吾々は普通口にしてゐながら鯛にはどれだけ鰯にはどれだけの榮養價があるじゃ、牛肉と鳥肉との榮養差も知らずに喰べてゐるのを、この種の榮養料理によって、始めて敎へられる處が多い。米の中の蛋白は、同じ目方の豆に比べてどれだけ少ないか、澱粉はどうだ等のことが判るのである。玄米と白米との榮養價の差も、榮養学によって明かにされる。併しそれはその食べものが持ってゐると云ふだけで、吾々が喰べてどれだけ消化され吸収されるかには觸れてゐない。味が惡ければ消化も惡い、榮養價のあるものも全部吸収されずにしまふから、ここに調味法の重要性が出て來て、それが榮養料理と名附けられるのである。 榮養料理の尚他の一つは、吾々の普通喰べてゐないもの、喰べ馴れないもので、カロリーも多い、榮養價も十分あるものを、旨く喰べ得られるやうに料理する種類の榮養料理である。食べる方法、手段、料理法等を知らないために、屑として捨てられたもの、肥料にしたもの、或は野山で空しく毎年朽ち果てたもの、等を如何に旨く料理して國民の食糧になるかを研究するのが、今日料理學の持つ大きな役目ではないだらうか。いかもの喰ひだ、物好きだとして顧みられなかった人達は、今日こそ自己の經驗と味覺、趣味、とを以て調理學に貢獻する秋ではあるまいか。美食家と一口に言って仕舞へば如何にも贅澤に聞えるし、又ローマの昔に、孔雀の舌計りの料理を喜んだなぞと云ふことは、美食家のする仕事のやうに思はれるが、利用されずにゐるものを、旨く料理することは美食家や食道樂家の舌の批評に俟つのがよいのではなからうか。玄米食も宜しい、代用食も結構だ、粉食も大いに奬勵すべきだが、その中にあるカロリーだけの計算で終ったのでは、科學的とは云へない。無論カロリーの測定は科學の指示によるのであるけれども、計算だけしたのは、科學の一部で全部ではない。ほんの上部だけの紙の上の話である。科學のいろはだ。今日の科學はそんな淺薄なものではなくて、それだけのカロリーが實際にどれだけが人體に吸収され、どれだけ無駄になるか、その利用率迄つき進まなければ科學的とは謂へないのだ。更に進んで、食物の中にどれだけの榮養素としてのヴィタミンが破壊されずに人體に入るか迄を、科學は突きとめて呉れるから、今日調理學は科學と離れて一人歩きは出来ないのである。 Best regards
承前
日本の料理は一體に、新鮮味を賞味する料理だが、新しければ何處の産のものでも良いと云ふ譯ではない。新鮮味の味覺を決定するものは、材料の産地が大きな部分を占めるやうだ。瀬戸内海でも明石の鯛が一番良いとか、東京灣の輪の中の鰻が何月頃良いとか、何月頃は江戸川の下り鰻が旨いとか、天ぷらの鰕は江戸前の一疋何匁位の「まき」が良いとか、何處の葱でなければ葱鮪には向かないとか、何處の豆が豆腐に良いとか、色々の通が振り廻されるが、みんな新鮮とその出場所とに對する味覺である。併しこの外に尚一つ味覺を左右するものに習慣がある。東京の人が、何でも魚は江戸前に限ると云ふのは、一つには喰べ馴れてゐるからだ。人間は喰べ馴れたものが旨いと感じる。吾々は北陸の鯛は実が柔らかく、刺身などにしても一向感心しないが、土地の人はこの地方のが一番旨い。同じ海岸でも何處から先は駄目だと云ふ。そこへ行くと、この土地の鯛は良いが、何處から先は駄目だと反對のことを聞かされるのも、馴れが誘う味覺のためであらう。 魚の旨いのは日本が世界一だと云っても、これが吾々が喰べ馴れたため計りでもあるまい。暖流の魚でも寒流の魚でも淡水魚でも、あらゆる種類の魚に惠まれてゐる。鰯、鰊、鱈、海老、鮭等、歐米で賞味され従って高價な魚が、こんなに獲れてこんなに廉い國が何處にあらう。それでゐて今日は榮養失調者が出來るのは、如何に制度が惡いが窺はれる。米に計り賴り過ぎて米より榮養價の高いものに對して打つ手を知らないか、忘れたのか罪と云ふ外はない。 いや魚計りが旨いのではない。日本の牛肉も外國のと比較すると遙かに旨いのではなうだらうか。牛肉を煮込んだ料理はともかくとして、生のをすぐ料理したビフテキとか日本式のすきやきとかで、味はって見たら、とても日本の肉には敵はないと思う。ロンドンのビフテキとかローストビーフには、何處の國も及ばないと云ふ話だが、若し日本の牛をロンドンでビフテキにしたらどんなに旨からうと思ってゐる。併し歐洲では英吉利の牛肉が、獨逸や佛蘭西に比べて旨いから、ロンドンでビフテキやローストビーフが騒がれるわけだ。無論それはロンドンのビフテキ燒の上手な料理人に賴まなければ駄目だ。丁度鰻の蒲燒には木炭がやかましく、びんちょうでなければ駄目だ、と言はれる やうに、どうもビフテキにもコークスの火加減がむづかしいやうだ。さうして肉の場處は無論のこと切り方や大きさと、厚さとが味覺の上に大きな關係を持つやうだ。さうして料理してからすぐ熱いうちに出して呉れるのでなけれないけない。 生の肉の味を賞味する料理としては、御狩場燒とか、すき燒とか、その場で自ら料理するのが味覺三昧に入る氣がする。すき燒と云へば、外國人には日本の醬油の焦げる香りが良くないから、初めはいけないが喰べ馴れると餘程旨くなるやうだ。伯林の日本人俱樂部で、明治の中頃すき燒を始めたら、臭いとアパートの上下から苦情が出たが、番人を呼んで喰べさしたら、苦情は止んだ許りではなく毎日鍋から出た餘りの汁を、貰ひに來るやうになったと云ふ話を聞いた。併しすき燒の旨いのは、日本の牛肉に及ぶものは無いと思ふ。外國で食べるすき燒は、長く米飯を食べずにゐたから、旨いと云ふだけで、決してそれ程旨いものではない。日本の牛肉が旨いからで、喰べつけてゐる計りではない。或外交官が戰前伯林から獨逸人の下女を連れて歸って來た時、日本の牛肉の旨いのに下女が驚いてゐたと云ふ話を聞いた。私はこの前の戰爭中、會議の用で大正六年の春であったが、伊太利へ行きがけ、シベリア鐡道の中で丁度露西亞の革命が始った。露都へ着いてもホテルfr一日一食しか出して呉れない。ひもじい思ひをしながら、大使館で特に手に入れて呉れた牛肉で、すき燒の御馳走になったことがあるが、二箸三箸の後はどうも肉が喰べられなかったのを、今でも思ひ出す程である。日本の豚肉は大體外國に及ばないが、牛肉だけは世界一だと獨りで極めてゐる。
承前
希臘、羅馬等から見れば、北狄西戎であったアングロサクソンやゲルマン族は、今日に到っても料理は下手だ。これらの國は料理屋の料理よりは、反って家庭の料理が發達してゐるやうだ。と云へば眼の前で燒いてくれるロンドンのビフテキや、ローストビーフを讃美する人達からは抗議が出るかも知れないが、何と云っても佛蘭西料理と太刀打は無理だらう。イギリス料理は日本料理のやうに、先づ第一に材料の新鮮程度を尊ぶやうだから、古い材料とか、乾した物、或ひは鹽物等を、旨くもどして料理することは餘り無いやうだ。佛蘭西は肉や鳥、特に野鳥獣等を料理する時に、最も味の出る時日を季節によって、そらぞれのものについて定めるのが一つの技術のやうだ。野鳥の肉でも、特に雉子のやうに少し古くなると味が更に良くなるもの等は、仲々やかましいやうだ。そのために肉類に時を置いて味を出させることを、フェザンテーと云ふ位だ。佛蘭西料理も支那料理も新鮮の味の良い物は、新鮮を尊ぶが、乾した物、鹽物等をもどして味を旨くする技能は、一寸眞似が出來ない。 Best regards
承前
尚、一章を全文アップロードしようとしたら案の定、容量がオーバーした。依って、可能な範囲で段落毎に紹介する。 料理通と榮養料理 佛蘭西では料理通とか食道樂のことを、グールメーと呼ぶが、無暗に喰ふ大食家のことは、グールマンと言ってゐる。食物の味や調理法を研究してゐる人を、獨逸ではガストロノマーと云ひ、英語の字引にはガストロノミーは食事の科學と出てゐる。語源は希臘でガスターは胃と云ふ字ださうだから、天文學のアストロノミーのアスターが、星である處から見て、ガストロノミーとは胃の學問と云ふのが本來のものかも知れない。人類の文化が進めば進む程、旨く食ふこと、味覺に關する研究が進んで來るのが自然のやうだ。ポンペイの廢墟の中には、アフリカから取り寄せた孔雀の舌計りの料理も出たと云ふ、饗宴の古跡がある處を見れば、文化の古い味覺の發達した支那に、家鴨の舌計りの料理があるのは當然だらう。それにしても古い希臘の時代が胃の學問、調理學、ガストロノミーが、天文學と並び稱されてゐるのも面白い。 一體文化の舊い國程料理は旨いと云ふが、文化が進めば民衆の生活も向上するからである。これは一國内でも文化の進まない田舎には料理が發達せず、古い都會程料理は旨い。田舎料理に旨いのもあるが、東京よりも上方の方が味覺の發達してゐるのは古いためだらう。併し文化が衰へれば料理も退歩する。そこへ行くと藝術は残るが、料理は残らないから發達の程度が判らない。残るのは血の中に流れた味覺が、國の盛ん盛なるにつれて又世に現はれて來るのではないか。希臘、羅馬の流れを汲んだ、ラテン系の佛蘭西があれだけ料理が發達して來たのはそのためではなからうか。東では支那が料理に於ては傑出してゐるのも、文化の古いためであらう。帝大の建築學の敎授であった故塚本博士も、大學の食堂邊りで料理の話が出ると、西では佛蘭西、東では支那、これが料理で世界の兩大國だ。さうして食堂の話には向かないが、料理の旨い國はどうも便所が汚ないと能く話された。これは建築家でなければ一寸気附かない觀察だ。 |
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77
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男性
誕生日:
1947/05/18
職業:
よろず相談家業
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歴史研究、読書
自己紹介:
柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
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