柏崎・長岡(旧柏崎県)発、
歴史・文化・人物史
承前.
▲地勢 本村は刈羽郡の西端に位し米山山下の海岸に在り、 ▲地質 輝石(きせき)安山岩(あんざんがん)及び其集(しゅう)塊岩(
右大臣 岩倉具視卿 君が代は土も薪(まき)にたき添へて かまどの烟(けむ)り立まさりけり
(註1)輝石安山岩: 安山岩の中でも、斑晶(大きな鉱物結晶)として、 (註2)集塊岩: 現在は、火山砕屑岩(さいせつがん)を言うが、当時は、浮石角礫 (註3)角閃富士岩: 角のある閃石(ケイ酸塩鉱物に類)を含む安山岩。因みに、
全くの私事であるが、
(註4)燃土: 字義通り燃える土、原油を含む土。 (註5)日本書紀集解: 江戸時代中期、天明年間(1785年頃)の『日本書紀』 (註6)以下の漢文: 大意、越後の国の鯨波や柿崎の住民は、
越後国鯨波柿崎土人取地中土、斫為尺、許用為薪、其引火如木云々 (越後の国、鯨波、柿崎の土人、地中の土を取り、斫(はつ)って
(註7)米山石油会社: 明治31年2月、刈羽郡大洲村の小熊三郎(冒頭「鯨」 (註8)右大臣岩倉具視: 周知の通り。歌に就いては、省略する。
Best regards 承前。
段落ごとに(▼)、順次注釈を付けたいと思うのだが、
○柏崎文庫中の鯨波村誌 編者がが明治十七年以来、鯨波に就いて見聞せし事左の如し
▲村名 口碑に往古は桂波と言へり、
わきてこの浦の名に立つ鯨波 くもるうしほを風も吹くなり
十返舎一九の金の草鞋に
眞黒になって寄せくる大波は 鯨波ともいふへかりける
(註1)神明社(しんめいしゃ): 伊勢神宮内宮を総本社とする神社。ここでは、鯨波の現・ (註2)由緒記: 各地のそれぞれの神明社に有るようだ。この場合は、「鯨波(くじ (註3)天正の乱: 天正年間、特に天正十年(1582)に上野・甲斐・ (註4)国主上杉公: 時代的に推測して上杉景勝の事。 (註5)同上以下の漢文: 大意、越後の国主・上杉公が本間佐渡守を攻撃した時、 尚、ここに言う「本間佐渡守」は、時代的に見て、
国主上杉公撃本間佐渡守之日越兵会難風 (国主上杉公、本間佐渡守を撃つの日、越兵、難風に会う) 于時念此神明果無恙着岸此磯、 (時に、この神明に念ず、果たして恙なく、この磯に着岸す) 乃大喜己挙鯨波於是書鯨波、云々 (すなわち大いに喜び、己、鯨波に挙り、ここに於て鯨波と書し、 (註6)康(こう)平(へい)三年: 1060年、後述する道興准后は室町時代の人なので、 (註7)聖護院門跡道興准后(みちこうじゅんごう): 聖護院は、京都左京区聖護院の本山修験宗総本山。道興准后(14 (註8)廻国雑記(かいこくざっき): 『廻国雑記』は、道興准后が著した紀行で、文明19年(1487
【柏崎市】 柏崎を過ぎけるに、秋風いと烈しく吹きければ、 おしなべて秋風ふけば、柏崎 いかが、葉もりの神はすむらむ 【柏崎市青海川、笠島、鯨波】 あふみ川、かさ島など打ち過ぎて、 わきてこの浦の名にたつ鯨波 曇るうしほを風も吹くなり 【柏崎市安田、山室、小国町三桶、川西町木落】 やすだ、山むろ、みをけ、しぶ川、大井、 初秋の露にぬるてふうるし山 今一しほぞ、風も涼しき 壷池といへる里にしばし休みて、或人に遣しける俳諧うた、 あぢ酒をすすむる人もなき宿に 水のみわくや。壷池の里 これより、くつぬぎといへる里を過ぎ侍るとて、我も亦、 ふくろふといへる里にて、ねざめに思ひつつけける、 此の里のあるじかほにも名のるなり 深き梢のふくろふの声 あひまた、湯の原、などいふ所を分け行き侍りけるに、 すむ水はありともみえぬ池の原 尾花さわぎて、高き波かな 此の原をうち過ぎて、なぎなた坂といへる所をこえ侍るとて、
(註8)十返舎一九の金の草鞋: 『諸国道中金の草鞋』の十四、柏崎の後。
Best regards 承前。尚、原文では旧漢字あるい旧仮名使いが使用されているが、
『くぢらなみ』 柏崎町 関甲子次郎編
▲新潟県越後国刈羽郡(かりわぐん)鯨波(くじらなみ)村(むら
(註)鯨波(くじらなみ)・河内(こうち)・東(と)の輪(わ) 因みに、『新潟県刈羽郡地価持一覧』中、 また字「川内」を見ると、筆頭に内山亀吉(1,056円、 更に字「塔之輪」では、渡辺庄兵衛(1,178円)、
一、鯨波村役場 字鯨波に在り村長・下條慶之亮、助役・保坂竹治、収入役・ 二、鯨波尋常小学校 校長・猪俣音吉、男女学生貮百二十七人 三、在郷軍人七十四人 分会長・小田十平、分会員三十四人 四、鯨波村駐在所 柏崎警察署第十一管区鯨波駐在所巡査・笹木栄蔵 五、鯨波郵便局 局長・根立元松、電信電話の設けあり。 六、鯨波駅停車場 駅長・村田酒造雄 鯨波駅より重なる地へ三等乗客賃金 柏 崎 五銭 直江津 三五銭 長 岡 四三 高 田 四一 三 條 六五 長 野 一〇六 新 潟 一〇五 高 崎 一八九 柿 崎 一七 上 野 二五三 七、鯨波倶楽部 会長・土屋忠知、副会長・関順助、会員五十一名 八、川内青年倶楽部 会長・根立順平、副会長・栃堀吉松、会員二十五名 九、鯨波漁業組合 理事・下條慶之亮、監事・中村吉太郎、組合員四十餘名 十、鯨波水産貯魚組合 代表者・根立元松 十一、主要物産統計類 左の如し 米 一、七五一石 大豆 七五石 麥 三〇〇石 大根 六、四〇〇貫 里芋 二、五〇〇貫 甘藷 三、ニ〇〇貫 木炭 一、二〇〇貫 薪材 四六、六〇〇貫 挽材 九〇〇坪 木材 一六五貫 海藻 三〇〇貫 貝類 一、五〇〇貫 魚類 二九、四八三貫 繭 二三石 (以下明治四十五年五月現況調査)
今回は、鯨波の地誌である。そこで、
尚、次回は、「柏崎文庫中の鯨波村誌」から始める。
Best regards
先ず、最初に御断り。
長年お世話になった『忍者ブログ』が無料の範囲を越えた様で、次号をアップロードできない様だ。何度か試したが、巧くいかない。 『柏崎余話』は、16回書いているのだが、難しくなった。本来なら、下記冒頭の部分だが、 『くぢらなみ』から少々外れる。と言っても、
漢詩の二番目、「鯨」の作者である小熊琴斎が、実は『柏崎日報』
ここに、日本超心理学会の会報に掲載されていたのだ。因みに、
13/11/29 日本超心理学会―超常現象・超能力を科学する| ヒーリング,予知,気功,テレパシー,透視をバイオや脳科学で実 j-spp.umin.jp/japanese/ 前回から『くぢらなみ』を始めたのだが、
表紙「くぢらなみ」の蒼海ホテルは、
私は、柏崎に来た当初、
とまあ、三十数年前の柏崎は、原発の建設と相まって、
長岡当時は、歴史を訪ねて県内を回ったものだが、柏崎に還って、
しかし、それにしても、今回の蒼海ホテルの話、
柏崎に限らず地方都市の抱える問題のようにも思える。読者諸賢、
「山紫水明」壬子初夏、葦〇(
Best regards |
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プロフィール
年齢:
77
性別:
男性
誕生日:
1947/05/18
職業:
よろず相談家業
趣味:
歴史研究、読書
自己紹介:
柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
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