柏崎・長岡(旧柏崎県)発、 歴史・文化・人物史
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第三項 新潟縣

 

 徳川末代ニ於ケル越後国ハ高田新発田長岡村上村松與板清崎黒川椎谷三日市峯岡ノ十一藩ノ提封ト幕府ノ支管下ニ依リ佐渡国ハ幕府ノ直轄ニ係ル今明治ニ入リ現今ノ新潟縣ニ至ルマデノ変異ヲ記ス

〔徳川末代にける越後国は高田・新発田・長岡・村上・村松・与板・清崎・黒川・椎谷・三日市・峰岡の十一藩の提封と幕府の支管下により、佐渡国は幕府の直轄に係る。今明治に入り現今の新潟県に至るまでの変異を記す。〕

《幕末の頃の越後国は、高田(譜代、酒井家15万石)・新発田(外様、溝口家、約10万石)・長岡(譜代、牧野家、約14万石)・村上(譜代、内藤家、5万石)・村松(外様、堀家、3万石)・与板(譜代、井伊家、2万石)・清崎(糸魚川、親藩、松平家、1万石)・黒川(譜代、柳沢家、1万石)・椎谷(譜代、堀家、1万石)・三日市(譜代、柳沢家、1万石)・峰岡(三根山、譜代、1万1千石)の11藩が領内の総てと、幕府の支配地(例へば、小千谷)があり、また佐渡国は、幕府の直轄領であった。ここで、明治以降、今の新潟県に至るまでの変遷を記載する。》

 

官廳設置年月              官廳

明治元年 四月 十九日      越後国ニ新潟裁判所ヲ置ク

仝      二十四日      佐渡国ニ佐渡裁判所ヲ置ク

仝    六月  三日      新潟裁判所ヲ改メテ越後府ト為ス

仝    七月二十七日      越後国ニ柏崎県ヲ置ク

仝    九月  二日      佐渡裁判所ヲ改メテ佐渡県ト為ス

仝    九月に十一日      越後府ヲ改メテ新潟府ト為ス

明治二年 二月  八日      再ビ越後府ヲ置ク

仝      二十二日      新潟府ヲ改メテ新潟県トス

                          柏崎佐渡二県ヲ廃シテ越後府ニ合ス

仝    七月 二十日      再ビ佐渡県ヲ置ク

仝      二十七日      越後府ヲ改メテ水原県トナシ新潟県ヲ廃シ之ニ合ス

仝    八月二十五日      水原県ヲ割キテ復タ柏崎県ヲ置ク

明治三年 三月  七日      水原県ヲ廃シテ再ビ新潟県ヲ置ク

仝    十月ニ十二日      長岡藩ヲ廃シテ柏崎県ニ併ス

明治四年 七月 十四日      十藩ヲ廃シテ県ト為ス是ニ於テ二国分レテ十三県ト為ス

仝   十一月 二十日      十三県ヲ廃シテ更ニ新潟県柏崎県ヲ越後国ニ相川県ヲ佐渡ニ置ク

明治六年 六月  十日      柏崎県ヲ廃シテ新潟県ニ併ス

仝 九年 四月 十八日      相川県ヲ廃シテ新潟県ニ併ス以テ現今ニ至ル

 

置県以来ノ長官及旧藩主ヲ左ニ挙グ

旧藩主 新潟県勢概覧ニヨル

        姓名         備考

村上  子爵 内藤信正       維新後の村上藩知事は、第九代藩主(最後の藩主)信美(のぶとみ)であり、信正と云う名前は、維新前後には見当たらず、何らかの誤認ではないかと思われる。

新発田 子爵 溝口直正       第十二代藩主、「子爵」とあるが、「伯爵」の誤り。因みに、直正の長女・久美子は、大倉財閥・男爵・大倉喜八郎嫡子・喜七郎夫人である。また余談だが、子息・直亮(なおよし)夫人・須美子は、御三卿・田安家・徳川達孝(さとたか)の長女で、德川宗家・第十六代家達(いえさと、家達は田安家の出)の姪である。

長岡  子爵 牧野忠篤       長岡藩牧野家第十五代当主、初代長岡市長

椎谷  子爵 奥田直紹       村松藩第十一代藩主・堀直賀(なおよし)の長男・直紹(なおつぐ)、第十三代椎谷藩主・之美(ゆきよし、最後の藩主)の養子となり家督を相続した。姓が「奥田」であるのは、堀家の旧姓で、廃藩置県の時、奥田系堀氏三家(須坂・椎谷・村松)が奥田姓に復姓した為。

三日市 子爵   柳澤徳忠      三日市藩柳沢家第八代藩主、夫人は奥田直紹の祖父・直休(なおやす)の長女(大伯母)。

清崎  子爵   松平直静      糸魚川清崎藩第八代藩主・直静(なおやす)、越前福井藩松平家の分家。明石藩第七代藩主・松平斉韶(なりつぐ)七男

黒川  子爵   柳澤光邦      第八代藩主。高家旗本・武田信之の六男。黒川藩七代・光昭(みつてる)とは従兄弟。

村松  子爵   奥田直暢      第十二代藩主・直弘の嫡子・直暢(なおのぶ)、奥田直紹(なおつぐ)は叔父。

高田   子爵   榊原政敬      第六代藩主、実は、第三代藩主・政令(まさのり)三男。

峯岡  子爵  牧野忠良      長岡藩牧野家分家(三根山藩)。宇和島藩第八代藩主・伊達宗城(むねなり、幕末の四賢君)七男。因みに、この家は代々養子が多く、次代健之助は、三井総本家(北家)第八代高福(たかよし)の次男・三井八郎次郎の六男である。

與板  子爵   井伊直安      彦根藩井伊家第十三代藩主・井伊直弼(大老)の次男。

 

長官

任官年月                  姓名          備考

明治  四年十一月   県令   平松時厚     公卿・子爵。

明治  五年 五月  県令   楠本正隆     肥前大村藩士、男爵、大久保利光の腹心と言われた。後、東京府知事。

明治 十八年 四月  県令   永山盛輝     薩摩藩士、男爵。

明治 十九年 七月   知事  

明治二十二年十二月   知事   仙田貞暁     (せんだ・さだあき)、薩摩藩士、男爵、広島県の県令、同県知事後、新潟県・和歌山県・愛知県・京都府・宮崎県知事を歴任。

明治二十四年 四月  知事   籠手田安定   (こてだ・やすさだ)、平戸藩士、剣術家(心形刀流と一刀正伝無刀流の免許皆伝の腕前を持ち、山岡鉄舟から一刀流正統の証の朱引太刀を授けられた)、滋賀・島根県知事の後、新潟県知事。

明治二十九年 二月  知事   浅田徳則     京都出身、地方官吏から官僚、外交官、政治家。神奈川・長野県知事を経て新潟県知事、広島県知事。

明治三十 年 四月  知事   勝間田稔     長州藩士、内務官僚。愛知県令、同知事、愛媛・宮城県知事を経て新潟県知事。

明治三十三年 一月   知事   千頭清臣     (ちかみ・きよおみ)土佐出身、教育者、内務官僚。栃木・宮城県知事を経て新潟県知事、鹿児島県知事。

明治三十三年 九月   知事   柏田盛文     薩摩出身、慶応義塾卒、政治家、官僚。第四高等学校長、千葉・茨城県知事を経て、新潟県知事。

明治三十六年 二月   知事   阿部 浩     南部出身(原敬と幼馴染)、内務官僚、政治家。群馬・千葉・富山県知事を経て、新潟県知事、東京府知事。

明治四十 年 一月  知事   伯爵清棲家教 (きよす・いえのり)、伏見宮第十五皇子。山梨・茨城・和歌山県知事を経て、新潟県知事。

明治四十五年 三月   知事   森 正隆     米沢出身、内務官僚、政治家。茨城・秋田県知事を経て、新潟県知事、宮城・滋賀県知事。

 


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