柏崎・長岡(旧柏崎県)発、
歴史・文化・人物史
実に当惑している。 『柏崎通信』が、ブログとして公開されてしまった。 良かれと 思って公開されたことだから、まあ、致し方ない。 しかし、丁度、そのブログについて 書いた所だった。 当惑が加速される。 何しろ、実名で公開するか、匿名で公開するかをテーマにしていたのだ。 そして、私 は、実名派なのだ。 書くことには責任がある。 ところが、私には、その心の準備がな いのである。 何しろ浅学の事、自信などあるはずがない。 文章にも自信はない。 ま あ、ブログにするとすれば、500回くらい書いて、何とか自信が持てればと考えていた のだ。 そこで、「さて、どうする」と言う事になる。 自分のブログと言う事になるのだろう が、何しろ自分が作った訳ではないのである。 これは相当にクレームが付きそうだ。 覚悟しておく必要がある。 善意から出たことだから致し方ないのだが、さて、どうした ものか。 ホームページやブログを作らないのには理由がある。 先に書いたことも事実だが、公 開することに対する責任の重さを理解しているからだ。 読者に対してだけではなく、ML のメンバーに対しても責任があるのだ。 公開された以上、責任のある内容を書く心算だ が、その辺りで、御容赦頂けないだろうか。 Best regards 梶谷恭巨
面白いデータがある。 ブログを実名で書くか、あるいは匿名で書くかというデータ
だ。 実は少々驚いている。 日本のブログの実名率は5%、米国の実名率は55%なの だ。 また、世界で最もブロードバンドが普及しているといわれる韓国では、ブログを匿 名で書くことは、ほとんど無いと言うのである。 さて、この事実をどう考えればよいだ ろう。 どうして日本の実名率が圧倒的に低いのだろうか。 倫理的感覚の相違か? ところ が、同じ儒教の影響のある韓国の場合、ほとんどが実名だと言うのだから、儒教的倫理が 背景にあるとは考えられない。 韓国のIT研究者は、韓国人は、昔から近所付き合いが特 別だと云う。 例に挙げたんは、隣のスプーンの数まで知っているのが韓国の近所付き合 いだと云う。 兎に角、隣のことを知ることが韓国という社会の一種の安全弁なのだそう だ。 これには、歴史的背景がある。 戦前戦後、あるいはそれ以前、分裂や侵略、ある いは民族の移動など、歴史的要因が「他者を排除する→一族や近所を知っていなければな らない」という構図を生んだのではないかと考えられることだが、それがネットワーク社 会にまで拡大するものだろうかという疑問もある。 それでは、意外に思った米国の場合は、どうか。 研究者によれば、米国のブロッガー には、ブログを書く事自体に、他人にメッセージを書いているという意識がないのだと言 うのだ。 言い換えれば、家族や友人にブログを書いているという感覚なのだそうだ。 「え!、ホント」と思うのだが。 実は、このテーマ、NHKの『英語で、しゃべらナイト』で知った話しだ。 スタジオと 日本・中国・韓国・米国・英国でチャットを行い、上手く友人を作ることが出来るどうか を実験していたのだ。 勿論、もっとも下手なのが日本人だ。 「シャイ」ということだ けでは済まされそうにない。 単純に文化の違いというのでもなさそうだ。 そこで、話 題になるのが、急速に普及する「ブログ」である。 その「ブログ」に対する考え方が、 先に書いたデータや研究者の論評があった訳だ。 もし見た方がいれば、「少し違うので はないか」と言われるかも知れない。 左様、実は途中から見たので、意識に残ったの が、データと2・3の研究者の話だけだったのである。 その点は、御容赦を。 さて、日本におけるブログの匿名性の問題、広く考えれば、現在問題になっているネッ トワーク社会の匿名性にも通じる。 しかし、このデータを知るまでは、ネットワーク社 会全体の問題と短絡に考えていた。 その例が迷惑メールだ。 最近では国際的だ。 私 のところには、この所、海外の迷惑メールが急速に増えている。 但し、内容は少々異な る。 日本では「出逢い系」だが、海外からの迷惑メールは、差出人は女性だが、内容は 低利の融資や投資の話しなのだ。 英文ばかりか仏文のメールもある。 フランスは要注 意だ。 以前、記憶にない請求がフランスから来たことがある。 クレジットカード (JCB)に確認したところ、一応、問題は解決したが、その時の担当者の話で、フランス からの不正請求が増えているとの事。 「有名ブランドの50%は旅行に来た日本人が、 残り50%は日本に輸出して日本人が買う」というジョークがあるそうだが、これも、そ の表れか。 もっとも、アドレスから推測すると、どうも国内が発信地のようなのだが。 どうも論旨がまとまらない。 転寝して風邪を引いたようなのだ。 まあ、それは措く として、匿名性の問題、改めて考える必要がある。 当初、海外からの影響かと考えてい たのだが、どうも日本の文化に原因がありそうだ。 先日、友人にパチンコ文化論(大し た説ではないのだが)について話した。 昨年まで、遊び(ギャンブル)と文化について 調べていたのだ。 パチンコの歴史を調べると、実に面白いことがわかる。 よく景気と の関係が論議されるが、そのことではない。 パチンコの遊戯者層の変化なのだ。 例え ば、25歳以下の人口が25%を越えると戦争が起き易い、といった経験則に似ている。 パチンコには、4つの黄金期がある。 その時、その誘引になっているのが、遊戯者層 のトリガー年齢や男女の遊戯状況なのだ。 簡単にいうと、現在のパチスロへのシフトに 着目しているのだ。 一見何の関係も無いように思われるのだが、パチンコでは一種のコミュニティが形成さ れる。 しかし、パチスロには、それが無いように思えるのだ。 台と台の間の通路を 「川」という。 パチンコの場合、この川に、本来のパチンコとは無関係な人の移動が生 れる。 高齢の常連が多い為か、この移動は、一種の社交の表れなのだ。 しかし、その 場限りのコミュニティだ。 ホールを出ると、多少の挨拶は交わしても、それだけのこと だ。 そう、ホール内では、一流のパチンコ論を論じても、その場限りの交流なのだ。 何かに似ていないだろうか。 匿名を前提にしたネットワーク・コミュニティを思い浮か べるのだ。 これに着目した企業がある。 HANゲームというゲーム・交流サイトだ。 ヴァーチャル・ホールがある。 そこでは、パチンコとともにチャットが出来る。 一昨 年、瞬間アクセス数が4000を越えたという。 ブログから話しが飛躍したが、ホームページと併せると1600万が存在する社会、実 名性が5%の日本で、文化の大変動が生れているのではないだろうか。 その影響の波紋 が、「遊び」に及んでいる。 鼻が詰まり、頭痛がする。 まとまりの無いことを書いて しまったが、冒頭に書いた、実名性のデータ、多くのことを考えさせるデータだ。 ま あ、報告ということで御容赦を。
先週の日経の特集『ネットと文明-第7部「覇権の功罪」』の第一回目のテーマが「言
葉の競売」だった。 先ず、その表現に驚いてしまった。 「言葉の競売」 インター ネットという世界の中だけの出来事とは言い切れない、何かを感じる。 確かに、検索エ ンジンのリンクと検索頻度の高い言葉を関係付け、それを広告の延長と考えれば、言葉も 競売の対象になるだろう。 しかし、何とも違和感を感じる表現だ。 これでは、何でも 賭けの対象にする英国のブックメイカーではないか。 しかも、その競売で最高値がついたのが、「データ修復」だそうである。 日経によれ ば、最高額が2400円を越えたそうだ。 しかも、落札したデータ修復センターは、 「約15万の関連語に広告を出した」というのだ。 ヒット一件につき料金が掛かるのだ そうだが、それにしても、相当の金額なる。 データ修復市場が形成されたのは、そんなに古いことではない。 米国の一地方の会社 が修復の専門分野を独立させた。 それに目を付けた大手のデータ処理企業が、その会社 を買収した。 一昨年のことである。 当時、日本には、大規模なデータ修復会社は無 かった。 それが、先に揚げた「データ修復センター」のような「大手」といわれる企業 に成長したのは、つい最近のことなのだ。 データの重要性に対する認識は、どの企業に もあったのだが、どうも日本人は情報という無形のもに価値を見出さない習性を捨てられ ないのか、米国のデータ修復企業が上陸して初めて、企業化に乗り出す始末だ。 しか も、一挙に大資本を投じてくる。 先駆的な小企業は、結局、このあおりを食って、消滅 したのだろうか。 一昨年、数件あったハッカー的小規模業者が、検索にヒットしなく なっているのだ。 「言葉の競売」は、未だ実態が掴めない。 そこで、これならば経験豊富な「データ修 復」についての思い出話を。 データの修復は、一つ間違えば、犯罪的行為になる。 ハッカーの本来的意味から、ハッカーと言うが、データの修復は、ハッカー的技術を必要 とする。 勿論、その前提として、OSやデータあるいは媒体の構造に関する知識と技術 が必要だ。 例えば、HDが破損したとしよう。 少なくとも、デバッガーが起動できる 環境なら、残存するデータを移転し、再構成することが可能だ。 ところが、最近の人た ちは、PCの基本構造さえ理解していない場合が多い。 そんな訳で、昔話と言うことに なる。 データの修復は、プロテクトの解除に通じる。 物理的プロテクションを除き、大抵の プロテクションは、データのエントリーに、その情報を持つ。 実は、重要なのが、この エントリーの部分なのだ。 要するに、エントリーは、基本的にプロテクトされていな い。 ここに、そのデータあるいはファイルに関する基本的属性が書き込まれている。 ファイルとファイルの境目には、通常、2バイトのデミリッター(区切り)、データと データとの境目には、1バイトのデミリッターがある。 重要なのは、前者のデミリッ ターの後に来るファイル属性部分だ。 ファイル名・基本属性(長さ・形式など)があ り、その後に、そのデータの所在情報(先頭アドレスへのポインタ)があり、最後のデミ リッターのアドレスが書かれている。 最近のファイルは大抵の場合、可変長である為、 また空き領域を有効に利用する為、分散するデータ毎に次のデータへのポインターがデー タ部の最後に付けられている。 実は、このポインタを芋づる式に追いかけることが、基 本なのだ。 しかし、日本語の場合、データは単純ではない。 通常、全角データの場合 は、4バイト以上の構造だが、その内属性を示す部分は、データと並行する別系統の連続 体だ。 言い換えると、データは複線構造になっているのだ。 そこで、デミリッタの発見の方法だが、表示を16進数にして、その検索ツールを使 う。 捜すのは、ライアンフィード(LF)とキャリジ・リターン(CR)という制御 コードの並びを探す。 Windowsであれば、ファイル名も最大長があるので、それを見つ けることも一つの方法だ。 ただし、空白部は、通常「ノップ(00)」だが、可変長 ファウル構造の場合、空き領域に上書きするので、削除したデータが残っている場合があ る。 いずれにしても、力仕事である。 以上、HDが破損した場合で、且つ、接続PCが使用できない場合の一方法だ。 一 応、システムが稼働状況にある場合は、ファイル情報をレジストリーで捜すことができ る。 しかし、実は、こちらの方が面倒だ。 間違えると、システムそのものがダウンす る。 昔経験したエピソードを。 NECにLANシリーズというアプリケーションがあっ た。 ユーザーがバックアップが欲しいという。 違法コピーということになる。 一 応、了解を得て、先ず、プロテクションを外す。 その時のキーは、何と非表示文字だ。 EBCDICコードである為、一旦ASCIIコードへの変換が必要だ。 しかし、F DあるいはHDをダイレクトに読み出す場合、変換を必要としない。 直接読み大書き込 み命令による簡単なプログラムを書けば済む事なのだ。 コロンブスの卵のようなもの だった。 もう一つエピソードを。 ある有名なメーカーの財務管理のプログラムがあった。 こ れをHDで使えるように改造してくれと言うのだ。 さて、どうしたものかと考えた。 先ず、プログラムが何で書かれているかを把握する必要がある。 16進コードを見れ ば、大抵のプログラムが想定できる。 高価なアプリなので、まさかとは思ったのだが、 使用された言語がBASIC・コンパイラであることが分かった。 完全コンパイラでは ないので、ディスアセンブルが意外と容易だ。 ソースコードに変化して、インタープリ タで実行するが、どうも上手くいかない。 何と、驚いたのは、アプリ起動時に、プログ ラムの書き換えとマージ(連結)を行っているのだ。 ソースリストを出してみても分か らない道理だ。 導入部を書き換えて、問題解決。 こうして書くと、何だか後ろめたさを感じる? 心当たりの方が、メンバーに。 ま あ、既に時効かと。 大昔のエピソードだが、重要なのは、PCの世界では今も基本にお いて大した変化がないという事だ。 先日も、昔の部下が訪ねて来た。 データの修復が したいのだがと。 手順は教えることが出来るのだが、基本的知識と技術が無い。 余り にも便利になりすぎたPCの世界。 何でもツールを使うことが出来る。 どうも、それ が落し穴ではあるまいか。 コンピュータの世界に携わって、既に30有余年。 社会調 査研究所とIBMで、徹底的に教え込まれた基本的技術は、「三つ子の魂百まで」ではな いが、関連記事などを見ると、昨日のことのように思い出される。
「行不由徑(行くに、こみちによらず)」、『論語』(雍也第六、ようや)にある言葉
だが、先日、諸橋徹次先生が、この言葉を座右の銘ににされていたことを知った。 「な るほど、正論・大道を行かなければ、あの『大漢和辞典』は完成しなかったということ か。」 ところで、メンバーの一人である西澤君が、シナリオ講座という連載を柏崎マイコンク ラブの掲示板に書いている。 私が、彼に敬服するのは、映画の助監督から始まったであ ろう映像に対する信念を持ち続けていることだ。 まさに、「行不由徑」ではないか。 こういう人が、最後に大成するのであろうか。 少々歯車の合わないところもあるのだ が、傍観しているのではなく、期待をこめて見ている次第だ。 それに比べると、どうであろう。 私などは、何とも横道の多い人生を歩いてきたもの だ。 ただ、西澤君の話は、実に面白いことを示唆してくれる。 コンピュータの技術者 の在り方についてだ。 彼の場合、コンピュータや技術は、自己の表現の為の単なる道具 である。 しかし、これが、コンピュータの技術者の場合は、その道具を作る立場なの だ。 ある時は、データベース、ある時は、数値解析、しかし、時には、ホテルの予約管 理や市販のソフトでも済むような業務システムまで、手がけなければならない。 即ち、 その都度、価値観や観念さえ変えなければならない場面に遭遇する。 何しろ、クライア ントが最優先される社会なのだ。 その意味では、傭兵に近い、あるいは、傭兵そのもの かも知れない。 未だ纏まってはいないのだが、いつかは、「傭兵の倫理」について書こ うと思っているくらいなのだ。 要するに、「行くに、径に由らず」ではなく、「径に迷 い、大道を失う」危機と常に相対している訳だ。 「ああ、それで、戦史とか軍事学を」と言う人がいれば良いのだが、中々そうは見ても らえない。 先に付け加えると、軍人と言う場合は、国家と言う前提がある。 (一例と して、ハッチントンの『The Soldier and The State』。) そこで、「傭兵」と書いた 訳だが、これにも実は問題がある。 まあ、この話しは別の機会に書くことにしよう。 それこそ、径に迷ってしまいそうだ。 話しが、あらぬ方向へ進んでしまった。 実は、論語の「行不由徑」には続きがある。 それを書くと「径に迷う」。 要するに、諸橋先生が、この言葉を座右の銘とされたこ とには、何とも深い意味がありそうなのである。 因みに、ある対談の中で、諸橋先生の 「言葉が消えていく。 何とかしなければならないと考えたのが、大漢和辞典編纂の動機 だが」との言に、「それは、戦前もそうでしたか」と司会者、「そうです。 ・・・」 と。 この辺りの事、解釈は皆さんにお任せする。 参考のために、次のサイト(Web 漢文大系)を。
今回は、資料からどの様に必要なデータを検索するのか、その方法の一つを紹介する。
インターネット上の文献から必要なデータを検索する一種のデータ・マイニングの方法 といえるだろう。 インターネットが利用できれば、歴史のデータの多くを必要な歴史サイトから検索でき る。 (歴史ばかりではない。 例えば、青空文庫あたりの文学作品のテキスト分析にも 使える。) そこからが問題だ。 例えば、先回採り上げた「新選組」の問題があるとし よう。 関連サイトは山ほどある。 その中で、有効と思われるものを見つけ、それを資 料としてダウロードする。 サイトをそのままコピーすると、使い難いものだ。 先ず、 画面を適当な大きさにコピーできない。 これには市販のソフト、例えば『すぐれもの』 のようなものもあるのだが、コピーから必要な項目を検索するのは難しいから、プリント アウトして、そこから手作業で捜すことになる。 実は、これを容易にする方法を紹介す るのだ。 (あまり、紹介したくはないのだが?) 先ず、必要なソフトがいる。 画面データをPDFに変換するソフトだ。 色々使って 見たが、矢張り「Adobe」のディスティラーが便利だ。 ディスティラーに相当する ソフトでも良い。 何しろ、「AdobeAcrobat」は高価である。 しかし、A dobeの場合は、仮想プリンタとして使えるからだ。 インストールすると、プリンタ 登録が自動的に行われる。 ここまで書くと、既に解った人がいるだろう。 要するに、 PDFファイルとしてコピーするのだ。 Adobeの場合は、ファイル出力になる。 ページ設定、あるいはプリンタ設定で、適当なサイズに縮小するのが良いだろう。 こ うすると、プリントアウトするとき便利だ。 そうすれば、アクロバット・リーダー(V er.7が推奨)の検索を使って、必要なデータを検索することが出来る。 例えば、 「新選組」の場合で言えば、「越後」をキーワードに検索すれば、Ver.7の場合、右 ウインドウに検索ヒット件数とヒット項目が表示される。 この例で言えば、7件がヒッ トする。 最近、インターネット上の情報も、コピーガードがある場合がある。 しかし、この方 法だと、簡単にファイルに落とすことが出来る訳だ。 少々テクニックを必要とする場合 があるが、大抵の場合、何とかなるものだ。 テキスト分析にも使える。 例えば、新聞記事をこの方法でファイル出力する。 マー ジして、大きなファイルにし、アクロバットで検索すると、ターゲットの項目の使用頻度 などを簡単に見ることが出来る訳だ。 インターネットは、情報の宝庫だが、発見の方法を知らなければ、猫に小判だ。 ま た、折角見つけた情報でも、いちいち手作業で分析したのでは、時間の浪費だ。 そうか と言って、高い金を出して業者に依頼するのも、高価なデータ・マイニング・ツールを買 うのも、企業ならまだしも、個人では不可能だ。 一種ハッカーまがいの方法論だが、使 い方は邯鄲で、少なくとも私は重宝している。 他にも方法はあるのだが、基礎知識が必 要で、多分にややこしい。 この方法、一度、試しては如何だろう。 Best regards 梶谷恭巨 |
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男性
誕生日:
1947/05/18
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よろず相談家業
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歴史研究、読書
自己紹介:
柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
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