柏崎・長岡(旧柏崎県)発、
歴史・文化・人物史
今日、友人が訪ねてきた。 最初、電話で、アップルのパワーポイントのファイルをメモリーチップに落としたいのだが、Windows・アップル共用のメモリーチップが、認識されないと言うのである。 その時点では、ドライバーの問題化と考えた。 そこで、メールに添付して、自分のPCに配信することを薦めた。 来宅したので、アップルにメモリーチップを装着し、実際にどうなるのか確かめてみた。 何のことはない、Windowsに慣れているので、マックの表示形式に気付かなかったのである。 一件落着。 ところで、この友人は、産業廃棄物関連の会社に勤めている。 偶々、その時読んでいたのが、ゴールドラットの『チェンジ・ザ・ルール』だった。 一件落着後のコーヒーを飲んでいる時、産業廃棄物の処分問題で思いついた。 この処理問題は、一種のスケジューリングの問題ではないかと考えたのだ。 例えば、ある企業で廃棄物が生じる。 その会社が、工程管理をしているのであれば、そこから発生する廃棄物には規則性があるはずだ。 言い換えれば、廃棄物の量を予測することが可能ではないかと。 更に、それを収集し、最終処分場に運ぶ場合にも、廃棄物発生時の規則性が影響を与えるはずだ。 これは、工場ばかりではなく、スーパーなどの大型小売業にも通じる。 今の状況を考えると、ボトルネックは最終処理の段階にある。 最終処理場で長大な待ち行列が出来る訳だ。 言い換えると、廃棄物の発生段階の処理速度が速い為、その影響が蓄積され、最終段階での待ち行列を形成する。 ならば、初期段階にバッファーを置くことが考えられる。 すなわち、廃棄物の発生場所に、ボトルネックの待ち行列分のバッファーを設ければ良い事になる。 単純には解決できないのは承知の上だが、例えば、日々廃棄物が発生するスーパーが、廃棄物という在庫、言い換えれば、バッファーを持てばよい。 更に、次の輸送の段階にも、バッファーを置くことが出来るのではないか。 産業廃棄物の処理問題に、PERTやCPMの発想はあるのだろうか。 行き当たりばったり的あるいはどんぶり勘定的処理が行われているのではないだろうか。 工程管理やサプライ・チェーン・マネージメントでは、常識ともいえる手法が、何故、産業廃棄物問題では適用されないのだろうか。 (ただし、実際に適用されているところがあるのかもしれない。 しかし、身近に聞く限りでは、それらしき話題が出てこない。) この問題に関しては、発想の段階に過ぎないが、課題として面白い。 「制約の理論(TOC)」など、最適のソリューションだと思えるのだが。 Best regards 先ず考えるのは、軍事行動と営業活動を比較できるかという問題だ。 中国の兵法七書(孫子、呉子、三略、六韜、李衛公問対、司馬法、尉繚子)、更に加えるなら、張良の「素書」や、その師と云われる「鬼谷子」などが、経営の哲学として採り上げられることがある。 しかし、こうした書籍を採り上げれば、百家争鳴と云うくらいで限がない。 それが、日本に至ると、山鹿素行から吉田松陰に至るまで、様々な解釈の下に変遷する。 しかも、密接な関係にある中国の歴史的変遷に伴い、解釈そのものが変化していく。 しかし、それが、例えば、日経の書籍広告欄から消えることはないのである。 何故か? 心理的問題が常に先行するためか。 ところが、それではソリューションを得ることが出来ない。 例えば、目を西欧に向けて見ると、先ず、ギリシャ・ローマ時代が目に写る。 ギリシャ時代は、見方もあるのかもしれないが、レトリックのの さて、本論から外れそうだが、結局は、言い方は悪いかもしれないが、人を如何に「たらしこむか」という技術なのだ。 連衡縦横の策を唱えた、張儀・蘇秦、その張儀のエピソードが、それを物語る。 詐欺師まがいの提案が、行き詰る。 張儀は、窮地立つが、そのとき自分の妻に言った言葉が振るっている。 大口を開けて聞くのである。 「舌は未だあるか。」 舌さえあれば、その三寸の動きで、国を操ることが出来ると。 こんな話を理論化できるのだろうか。 それを試みた先人がいる。 ゲーム理論。 ただし、納得している訳ではない。 問題は、数学的な解法が必ずしも一般に通じるかということだ。 単純な話、ノイマンにしろナッシュにしろ、それが、理論とはかけ離れたオーディナリーな世界で通用するかということだ。 先ず、無理だろう。 発表された理論を読むより、それを提唱した人々の評伝を読むといい。 そこには、真実というよりも事実がある。 生死をかけた戦場で発展したのが「兵法」だが、そこには、未だゆとりがある。ところが、例えば、ジョミニにの戦術論は、理論というより、実質的な布陣なのだ。 そこにあるのは、戦場における力学関係の物理学的表現である。 一見、マインドの状況を著しているように思えるマキアベリの『君主論』でさえ、全体像を考えると、矛盾を感じる。 マキアベリの場合、盟友であるダビンチがいなければ、さて、歴史に名を残すことが出来たのだろうか。 何しろ、彼の人生を垣間見れば、必ずしも、平坦とはいえないのである。 話が右往左往するようだが、この問題は、この半年間、慣れない営業という世界で身を持って知った事実である。 出来上がったのは、NPOも含めて、NLPに従った人脈図なのだ。 姻戚関係、友好関係、公的関係、それぞれの力学関係、更に言えば、それぞれの関係が成立していく歴史的な事情、公開する心算はないが、営業活動というより、図式化された人間関係図は、少々その扱いには苦慮するのである。 営業活動の経験がない。 しかし、情報収集の技術に対しては、恐らく得意な勘のようなものがあるのかもしれない? 知ることは苦痛でもある。 「ああ、そうだね。 君のところなら四五代前までなら追いかけられるよ」と。 全く困ったもだ。 歴史の勉強の怖さを知るのである。 Best regards
昨夜(10月18日)、「狂言体験教室」が開催された。 昨年、息子がこの教室に参加していた。 地震のため、中断していたのだそうだ。 その影響か、どうも声が掛かったのは、主催者が出席者が少ないと危惧した所為だろう。 女房殿が買い物をするというので、私が息子の稽古風景を参観することになった訳だ。 そんな訳で、詳細は判らないのだが、何でも伝統芸能に対する認識を普及するための文化庁の事業なのだそうだ。 講師は、野村万作師のお弟子さん、皆さん周知のことか、その時は名前は聞いていない。 (後で調べてみると、高野和憲という名前だった。) 案内の電話を受けたのは、偶々私だった。 最近の子は礼儀作法を知らないという思いがある。 狂言は、作法に厳しい。 そんなこともあり、子供には良い経験だと思っている。 漠然とした思いで、参観したが、どうも子供ばかりの教室ではない。 私たちが着いたときには、大人ばかりであった。 どうも参観するという雰囲気ではない。 その内、子供たちもやって来た。 そして、稽古の開始。 教室の雰囲気は悪い訳ではないのだが、少々気になることがあった。 子供たちは、意外に正座に耐えている。 ところが、大人の方が、長時間の正座ができないのだ。 大人は、男性が一人、後は女性だ。 (子供が5人、大人が、7人くらいか?) 見る限り、正座が様になっていない。 様というのは、武道とか茶道や華道の姿勢という意味だが。 講師の先生も、それを心得ているのか、あるいは、堅苦しい雰囲気を避けるためか、話の時は胡坐なのだ。 内容よりも、そのことが気になる。 狂言も、礼に始まり礼に終わると思うのだが。 (一人だけ、注意を引くほど正座が様になっている若い女性が居られたことを書いておこう。) 断っておくが、内容が悪いのではない。 最初は、『宇治の晒し(さらし)』の謡いというのだろうか、(正確には、「小謡(こうたい)」というのだそうだ)、それを先生の後に従って唱和する。 何回か繰り返し、内容の説明と狂言の基本的な決まり事を聞き、これもまた先生の後に従って、「型附(かたつけ)」の説明を聞きながら小舞(こまい)を舞うのである。 小一時間の稽古のあと、休憩時間に『姨捨』の物語があった。 子供たちの稽古はここで終わりで(皆見学していた)、大人(中学生は大人である)の稽古が始まる。 『雪山』という小謡の稽古だ。 最後に、TVで見たことのある『口真似』という狂言の読み合わせ(謡い合わせ?)が行われた。 ほぼ2時間の稽古である。 私自身は、メモを取りながら、後ろの方で、拝聴・拝観していた。 要するに、得るものは多かったのである。 息子について言えば、狂言教室に参加すること自体を嫌がっていた。 ところが、教室に入ると意外に落着いている。 礼儀作法に煩い家庭でもない。 息子を見ると、狂言に関する講話の間は正座している。 休憩中の話の時は、結跏趺坐の姿勢をとる。 (座禅の姿勢である結跏趺坐は、小さい頃から教えていた。) 危惧したこととは、まるで違う。 少々嬉しくなる。 以前から「素読」の必要性を感じていたが、「狂言教室」は悪くない。 「素読」に通じるものを感じるのだ。 本来、この教室は、文化庁の委嘱事業「伝統文化こども教室」の一環として行われるものだ。 狂言は、能などと異なり、堅苦しさが少ないものだ。 内容にも演目によってはユーモアがあり、言葉も中世後期のものであり、地域によっては難なく通じる言葉である。 謡い回しも、慣れてくれば快い。 むしろ、能や歌舞伎より受け入れ易い。 (歌舞伎の場合、事前に内容を把握しておくか、イヤホンで解説を聞きながら観なければ、舞台の華やかさが先にたち、本質が理解できないという。) 昨夜の参観は、教育としての可能性を教えるものだったのである。 まあ、少々、砕け過ぎているのではないかと感じたのだが。 恐らく、講師の高野和憲先生は、「伝統文化こども教室」を念頭に置かれていたのではないだろうか。 いずれにしても、良い経験をした。 この活動は、狂言師・野村万作師を中心に全国に広がっているそうだが、年頃の子供を抱えた親として、短期間ではあれ、教育の場に身をおいたものとして、更なる広がりを期待したい。 Best regards 江戸後期の教育あるいは学問の系譜あるいは人間関係追及の旅も、現在、明治から大正初期に至っている。 同時に、その関係の広がりから医学・医療、そして戊辰戦争前後の混乱期から明治初期の復興期、更にそこで完成した人間関係の広がりにも踏み込もうとしている。 もっとも、舞台は、柏崎から長岡に移っているのだが、どうも、この辺りの歴史を追いかけていくと、「これは、単なる郷土史あるいは地域史の問題ではない」という感覚を覚える。 先回、長岡(柏崎)・鹿児島・岩国(山口)・福岡(柳川)という広範囲な旧制中学の校長(教師)の交流について触れた。 その時には触れなかったのだが、福岡の柳川との関係には驚かされた。 安東省菴を書き、その系譜としての福岡県立伝習館高校(柳川)にも触れたのだが、まさか、旧制長岡中学の校長であった仙田楽三郎が、旧制伝習館中学校長として赴任しているとは。 実は、先輩であり友人であり、また私達夫婦の仲人でもある乗富さんの母校なのである。 因みに、高野五十六(山本五十六)は、仙田楽三郎が校長時代に在校していた。 こうした明治における各界の全国的な人事交流あるいは移動は、上記の例を例外としないのではないだろうか。 当時の校長は、自ら職を求めたようだ。 例えば、先回も書いた坂牧善辰は、夏目漱石に自身の仕事の周旋も頼んでいる。 過渡期におけるトップ人事である。 坂牧善辰は、初代鹿児島県立第二鹿児島中学(現県立甲南高校)の後、川辺・川内の校長を歴任したあと、古巣である長岡には帰れず、大正4年、旧制三条中学校長に就任している。 この時、2人の教師を伴って帰っている。 その一人、小川景重は、新発田高等女学校校長に、もう一人、手塚義明は、旧制六日町中学初代校長に就任している。 こうした校長あるいは教師の人事の変遷を追いかけるのは、明治の原動力の背景に、過渡期における教育の問題があると考えるからだ。 ちょっと視点を変えたい。 長岡柏崎近隣の歴史は、単なる地方史ではない。 戊辰戦争、その後の復興期、そして石油産業の勃興、江戸末期から大正初年までの60年間、他の地域では見られない政治・経済・社会、そして文化の変遷を見ることが出来る。 その歴史を考えるとき、米国の近代史を見る思いがするのである。 すなわち、南北戦争、復興期、そして南部における石油の発見、アメリカの文化・思想、それに教育が大きく変わるのも、この時期ではなかったか。 その長岡と米国には深いつながりがある。 『武士の娘』の著者・杉本鉞子、それと最近知ったことだが、ジョージ・岸氏である。 ジョージ・岸氏については、『北越銀行(百年or百二十年)史』を調べて判ったことだ。 氏は、長岡経済の草創期活躍した岸宇吉氏の孫で、娘さんが、米国で看護婦養成所の教師をしているとか。 その娘さんが、祖父・岸宇吉に関心を持ち、是非、墓参したいとの意向があり、昭和59年5月29日、双従兄妹(従姉弟?)にあたる山口万吉氏の案内で、北越銀行本店を訪問されたのだそうだ。 尚、山口氏は、長岡銀行(現・北越銀行)の初代頭取・山口権三郎氏に繋がる人だと推測する。 この事に関してだが、実は、大きな障壁に阻まれている。 「個人情報保護法」である。 先回も書いたかもしれないが、日本国内のことを調べようとすると、必ずこの法に行き当たる。 企業でさえ情報を開示しない。 企業の歴史は、人間集団の歴史でもある。 特に、草創期、個人の果たした役割は大きい。 社史の本質は、単に企業の年表的歴史ではないはずである。 人間のドラマがあり、企業としてのアイデンティティが、そこにある。 昔、企業の社史編纂室は、窓際族吹き溜まりと言われた。 企業は、法人として人格を持つ。 それは、国家についても言えることだ。 マイネッケは、国家理性「Staatsrasen(rasenのaはウムラウト付き)」と言う言 国・自治体は、それぞれの歴史を編纂している。 しかし、どこか人間味の無いよそよそしさを感じる。 多くの社史を読んだわけではないが、何処か違和感を感じる。 (もっとも、地方の企業では、社史を編纂しているところが少ないのも事実だが。) ただ、先に挙げた『北越銀行史』は、よく出来た社史である。 確か、優良歴史書として表彰されているようだ。 まとまりの無い話になってきたが、要は、個の存在が時間の中に埋没し、歴史の中で大きな役割を果たしたであろう人々あるいは企業のアイデンティティを、現在の我々は、余りにも軽視し過ぎているのではないだろうか。 今生きる我々には、過ぎ去った人々のアイデンティティを、これから来る人々に伝えるべき義務があると思うのだが。 Best regards 『ある旧制中学校長の足跡(続)』(377号)を書いて、もう一年が経つ。 中々資料が無く手詰まりの状態だったが、ミッシング・リンクの一つが見つかったように思える。 未だ確信は無い。 しかし、方向が見えてきたのだ。 先日、一冊の本を見つけた。 中島欣也著『明治熱血教師伝』という。 長岡の互尊文庫の郷土関連図書のコーナーで、特に目的も無く、書名を追いかけていた。 その時、目に止まったのが、この本である。 ちょっと本題に入る前に、説明したいことがある。 長岡の図書館に行く目的のことだ。 最近は、「個人情報保護法」に阻まれて、インターネットで企業情報を集めるにも苦労する。 そこで、一つの解決策として、過去から現在に向かって調べていくことを思いついた。 その一つの基点になるのが学校である。 しかし、こちらにも「個人情報保護法」の壁がある。 50年目くらいだと、その壁を乗り越えることが出来ない。 少なくとも百年前に遡る必要があるのだ。 そこにキーパーソンを求める。 そして、歴史を下るのである。 さて、本題に入ろう。 (以下、敬称を略す。) 明治44年(1911)12月、旧制長岡中学の本富安四郎という先生が、長岡市立小学校校長会で講演した時の講演録が市立中央図書館に残っていた。 ガリ版刷りを、後に手書きにしコピーしたものだろう。 題して、『長岡藩史』という。 実は、この本富先生なる人物に興味を覚えていた。 偶然、互尊文庫で目にした『明治熱血教師伝』は、この本富安四郎と、その本富を長岡中学に招聘した坂牧善辰のことを書いた本なのである。 ただし、この中には、羽石重雄の事は出てこない。 前後の関係を説明する為に、二人の略歴を書く必要がある。 本富安四郎の父・寛之丞(寛居)は、戊辰戦争時代、150石の長岡藩士で、恭順派に属していた。 しかし、一旦、戦になると一隊の隊長として奮戦している。 その三男として今朝白に生まれたのが、安四郎だ。 戦後苦学して、私立東京英語学校夜間部を卒業、そこで知り合った友人の縁で、鹿児島県の宮之城町立盈進小学校の第4代校長に就任している。 当時の回想録が、『薩摩見聞記』だ。 多才な人であったようで、『新案緩和字典』を著すほか、「実用軽便通話器」という実用新案まで取得している。 いずれにしても、旧制長岡中学・現長岡高校史を通じて、最も興味深い人物の一人である。 着目したのは、敵国、薩摩の小学校の校長になっていることだ。 後に、これがキーワードになる。 坂牧善辰は、本富を長岡中学に招聘した当時の校長である。 この人も面白い。 有名になるのは、夏目漱石が、『野分』の主人公のモデルとしたからである。 漱石とは、同級生であり、往復の書簡が残っている。 クリスチャンである。 余談だが、そこで、関連してくるのが、『武士の娘』の著者・杉本鉞子との関係だ。 杉本 中島氏も、キーワードに着目されたのだろう。 ただ、私が着目したのは、坂牧善辰が長岡中学校長を辞任するに至った「和同会事件」の経緯と、その後任として着任した橋本捨次郎のことだ。 実は、前任地が、山口県立岩国中学なのである。 覚えておられるだろうか、羽石重雄は、岩国中学から、柏崎中学、そして長岡中学の校長に就任しているのだ。 すなわち、冒頭に書いたミッシング・リンクが、橋本捨次郎ではないかと推測するのだ。 更に、面白い事実を発見した。 筑後柳河の安東省菴について何回か書いたが、その伝統を引き継ぐ福岡県立伝習館中学(現高校)と長岡中学にリンクがあったのだ。 長岡中学が、様々な経緯の後、古志郡立長岡尋常中学として発足したときの初代の校長である仙田楽三郎(長岡藩士)が、伝習館中学の校長として、赴任しているのである。 この事実は、実の興味深い。 先に書いた如く、登場人物の一人、本富安四郎の姓、「本富」から類推すると、この家系に興味を覚える。 何故なら、「X富」の姓は、九州か、更に遡れば、東北を推測するのである。 柳河(柳川)に友人(先輩、我夫婦の仲人)がいる。 彼の先祖は、伊達家から立花家へ輿入れの際、仙台から付 Best regards |
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プロフィール
年齢:
77
性別:
男性
誕生日:
1947/05/18
職業:
よろず相談家業
趣味:
歴史研究、読書
自己紹介:
柏崎マイコンクラブ顧問
河井継之助記念館友の会会員
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